ワークショップレポート

「Borrowed Landscape - Morishita studio」
2012年8月10日・11日 森下スタジオ/Sスタジオ

 8/22-26の『Borrowed Landscape-Yokohama #2(横浜借景)』公演に先立ち、8/10-11に森下スタジオにてBorrowed Landscape Japan(以下、BLJ)の体験ワークショップが開催された。BLJは、ベルギー・ブリュッセルを拠点に世界各国の非演劇空間でプロジェクトを展開しているfieldworksのハイネ・アブダル(Heine Avdal・以下、アブダル)と篠崎由紀子(以下、篠崎)が、日本のアーティストとともに2011年11月に立ち上げたプロジェクトチームである。今回のワークショップでは、BLJメンバーでともに作品づくりを行っている振付家、小浜正寛、神村恵、社本多加、長内裕美も参加。学生・ダンサー・俳優・社会人など8名の参加者は、森下スタジオの空間にあるものを観察し、それらを身体的な感覚でずらしながら空間を変化させることを試みた。
 このレポートでは、2日間のワークショップの模様と終了後に行ったアブダルと篠崎のインタビュー、そして筆者が立ち会った公演での体験をもとに、借景の概念をパフォーマンスに用いる「Borrowed Landscape Project」とは何か、そのユニークな取り組みと魅力に迫る。

李丞孝(イ・スンヒョウ)/ダウォン芸術研究者






よりリアルな世界に接続するパフォーミングアーツの試みー横浜借景


 『Borrowed Landscape-Yokohama(横浜借景)』(以下、『横浜借景』)はいわゆるサイトスペシフィック(Site-specific)作品である。サイトスペシフィックとは文字通り、「場所―特定的」を意味し、特定の場所に合わせて創られた作品、ひいては特定の場所でなければ成立しない作品を意味する。当初は現代アートの領域で生まれた概念だが、最近はダンスや演劇などの舞台芸術でもよく見かけるようになった。庭園の前景と自然物の背景を一体化させる造園技法「借景」のように、ある場所を背景にしながら人工的にクリエーションを加えてその場所と一体化させていくのが、サイトスペシフィックの基本的なコンセプトである。昔から日本に存在していたサイトスペシフィックの概念を用い、『横浜借景』が生まれたのは非常に興味深い。
 サイトスペシフィック作品で場所を扱うにも色々な方法がある為、そのアプローチによっては同じ場所でも様々な結果や見方が生まれる。アブダルと篠崎はfieldworksでも様々な形式のサイトスペシフィック作品を制作しており、BLJが始まるきっかけとなった2011年2月の『Field Works-office』では、実際に建築事務所のオフィスがそのまま使われた。観客たちはオフィスというリアルな現実の中で、演出家が仕掛けた虚構と現実の境界線を歩く。また、同年10月に行われたBLJの初公演『横浜借景』では、最もリアルな虚構の空間とも言えるモデルハウスを使って、さらに現実と虚構の感覚が揺らがされた。今回発表される新作で場所がどのように使われるかはまだ分からないが、彼らがサイトスペシフィックな作品を創る理由は、「よりリアルな世界に接続したいから」だと言う。



空間/環境に身体が反応し、適応する体


 『横浜借景』プレイベントだけあって、ワークショップもサイトスペシフィック的に行われた。新作が創られる横浜ではないものの、森下スタジオのSスタジオという特定の場所を再発見していく過程を軸に進められた。ここでの「場所」には、その場に存在している建物やその中にある施設だけでなく、ワークショップによって加えられた人や物まで全てが含まれている。
 最初のウォーミングアップは、普通のストレッチではなく、体を細分化する訓練だった。体全体ではなく、顔の筋肉から、首や頭、手や腕、両足まで、身体の一部に意識的に集中する。同じ動作の中でも、動機のある動きと目的のない抽象的な動き、あるいは動く感覚と動かされる感覚の違いを意識的に分ける練習を続けた。このような方法により、全体的には不自由な動きの中でも、細分化された身体はより自由になるのだろう。
 次は、同じように身体を細分化しながら移動する練習。2〜3人のグループで、場所に属していることを常に意識しながら移動するというもの。体の一部だけを使って移動することで、普段は滅多にしない誇張された動きをせざる得なくなるが、それに慣れると今までの身体に刻まれていなかった新たな動きが発見されるのだ。しかし、ここで重要なのは、アブダル・篠崎の説明によると、周りにある場所に属するという感覚を見つけること、その為の細分化なのだ。場所に属するというのは、単に周りの物理的な要素を意識するだけでなく、一緒にいる人たちやその動き、また、それらによって作られる空気まで意識し、一体化されることを意味する。



空間に属するすべてを体で表現する


 アクティブ(能動)とパッシブ(受動)の2つのグループに分かれて行われた次のステップは、前作の『横浜借景』公演を連想させた。アクティブグループは空間にある具体的なものからインスピレーションを受け即興をし、パッシブグループはそれを観察して受け入れる。空間にある物を意識し場所に属するという感覚を感じながら、参加者同士が影響を与え合い、また新たな即興へと発展し、スタジオから廊下や階段、トイレや隣の部屋まで少しずつ場所を拡張していった。カーテンや扉、参加者たちの靴まで、その場にある全てが即興の源泉になった。場所という抽象的な概念から、場所に存在する具体的な要素を通じ空間を再発見することで、小さく無意味に見えた「モノ」もクリエーションの対象になる「オブジェ」に変わっていた。
 その中で行われる身体的な動きは、それらのオブジェに溶け込んだり、突然分離したりする。時間が止まっていないように、空間も常に動いている。様々な要素で成り立つ空間に、細分化された身体が反応して同化してしまう。このような過程の繰り返しの中で、人と場所、人と人の関係を体で感じ、体で表現するということが出来るようになるのだろうか。ワークショップの参加者たちは空間全体を変化させるグループの要素として、あるいはお互いに影響を与える個別のオブジェとして、それぞれ即興を続けた。



空間をノンヒエラルキーな感覚で捉える


 このワークショップのために書かれたノートには、彼らがBorrowed Landscape Projectを通して伝えたいことや作品の創り方がよく表れている。

ー空間/環境にどのように身体が反応し、適応するのかを観察する。
ー空間の役割、コード、慣習を考え、その中での 自分の位置づけを考える。
ー空間にとけ込むこと、同化すること。
ー空間から浮きたつこと、異化すること。
ー演じるとき、アクションを行なっている時の状態(state)と、演じていない時の状態の比較。
ー時間のずらしかた、編集の仕方を工夫する。
ーノンヒエラルキーなアプローチ。
ー「からだの動き」だけではなく、「空間に携わっているものすべての動きを追求する。
ー偶然(つい、うっかり、なんとなく)と必然(意図的に、計算した上で)を両方取り入れる。

 ノートの中心は、「空間」をどのように扱うかとも言えよう。しかし、我々が常にどこかの空間にいるということを考えると、即ち劇場の舞台も一つの空間だとすると、サイトスペシフィックという概念がとても空虚に響いてしまう。
 そこで重要になるのが、空間のヒエラルキーである。観客が舞台を認識する理由は、その場所に物理的な違いがあるからというよりは、空間に生じるヒエラルキーがあるからだろう。例えば、劇場で舞台は最も重要な場所であるが、稽古場のスタジオは舞台よりは重要ではないし、その隣にあるトイレはあまり意味がない。我々はどの場所に行っても、その空間でヒエラルキーを感じてしまうのだ。もしかしたら感じるのではなく、自らヒエラルキーを与えているのかもしれない。また、慣れていないものに比べ、慣れたものは相対的に重要度が落ちてしまう。
 アブダル・篠崎によると、このような無意識的なヒエラルキーを意識的に排除することから「ノンヒエラルキーなアプローチ」は始まる。アブダルは「どんな場所やものにも価値があるし、それを無視してはいけない」と述べたが、今回の新作でどのようにヒエラルキーが壊されるか注目すべきだろう。



空間をフレームする「借景」という考え方


 ところで、今回の新作の概要を初めて聞いた時に最も気になったのは、M/Mグランドセントラルテラスという会場である。サイトスペシフィック作品である『横浜借景』の公演なので、商業モールが会場になるのはちっともおかしくないが、問題はその規模である。最近ヨーロッパでのフェスティバルに行ってみると、サイトスペシフィックが一種の流行のように頻繁に見かける。その中では小さい部屋とか劇場の裏側のスペースを使う作品から、町や都市全体を使う作品まで、様々な作品がある。場所の規模により、アプローチが変わらざるを得ないことは言うまでもなく、観客の見方も大きく変わってしまうのだ。オフィスやモデルハウスで行われた作品を拝見した私としては、BLJがこの広い場所をどのように使ってクリエーションするかが、とても気になるところであった。
 その糸口は、二日目のワークショップで見つけることが出来た。ここで重点的に行われたのは「フレーム」を作ることだった。美術館では額の中に絵が入っているように、劇場では舞台という見えないフレーム中からモノを観る。このように、空間の中でフレームを作って、見る対象を絞ることなのだ。例えば、アクティブグループがスタジオから出て他の場所まで移動するという一連の過程を、パッシブグループがドアを通して部屋の中から見る時間があった。そうなると、アクティブグループの全体の動きは、ドアというフレームによって制限されて見える。一つのグループがある空間の中で同じ動きをしていても、それを観る他のグループがどのフレームを通して対象を見るかによって、見方は完全に変わってしまうのだ。
 これを見ているうちに、借景という造園技法が正に広い空間の中でフレームを作る作業ではないかと改めて気づかされた。そこに大自然があっても、その景色をフレームの中に収めることで、庭園の数ほどの新しい景色が生まれるという借景のコンセプトは、サイトスペシフィックにおいても意味深いだろう。



偶然をも取り込む『横浜借景』


 庭園あるいは窓や扉のように視覚を制限する実在のフレームのみならず、ある場所に集中させる仕掛けによって作られる架空のフレームも可能である。前回の『横浜借景』で、観客への直接的な指示の代わりに、主に音を使って観客を移動させたり注目させたりしたのは、そのような架空のフレームを作る作業だったのだろう。一般的な舞台作品で、音楽や音響、照明などを使い観客の視線を誘導する演出も、結局はいかにフレームを作るかの問題とも言えよう。
 では、M/Mグランドセントラルテラスの空間で、観客たちにどのようなフレームを与えられるのか。BLJは幾つかのヒントを用意しているそうだ。観客たちはそのヒントに基づいて作られるフレームを通して空間を見させられる。今回の公演では、観客に配られるヘッドホンが重要な要素になると思われる。柴幸男のテキストが『横浜借景』でいかなる存在感を見せるかも注目するポイントになるだろう。
 場所が持っている物語、観客の動線、振付と動き、音楽と音響、テキスト全てが、一つのフレームを構成するが、もちろん、特定のフレームを観客たちに押し付けることを意味するわけではない。おそらく観客たちは、振付家も予想できない偶然の要素により、各自異なるフレームで空間を見ることになるだろう。その偶然がサイトスペシフィック作品を創る側としては最も難しいところだが、観客としては最も大きな魅力かもしれない。8月22日からの『横浜借景』にていかなる偶然が起きるか、またどのようなフレームに出会えるか、期待してみよう。



筆者プロフィール
李 丞孝(イ・スンヒョウ):1984年ソウル生まれ。2009年から東京に滞在しながら研究活動中。研究テーマは韓国のダウォン芸術、アートフェスティバルに関する文化政策等。現在、「フェスティバル/トーキョー」や「十六夜吉田町スタジオ」(2012年9月開館)のアジア関連事業に関わっている。

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